皇室

天皇(皇太子)による雅子様への人格否定発言とは?元彼はイラクで亡くなっている?

2019年、時代は令和となり、徳仁親王・雅子妃が天皇・皇后となられました。

お美しく、海外生活経験がご抱負で元外交官である、という素晴らしいキャリアをお持ちの雅子様の、今後の皇后としてのご活躍は期待される事と思いますが、ご体調についても心配されます。

外交官として、大変仕事にやりがいを感じておられた雅子様は、ご結婚を大変悩まれた末、徳仁親王の一途な強い想いが伝わり、長い年月をかけてのご成婚となりました。

勿論、皇太子妃、そして未来の皇后になられる事に強い覚悟の上での皇室入りを決意された事と思いますが、キャリアウーマンでおありだった雅子様のこれまでのご苦労は、同様に民間ご出身である美智子様や紀子様とはまた違ったものでおありだったと想像します。

そんな雅子様は2004年に「適応障害」と公表されましたが、雅子様がご体調を崩された頃に開かれた記者会見での、徳仁親王の発言が「人格否定発言」と騒がれ、話題となりました。

近年は、出席されるご公務も増え、ご体調は回復に向かわれているのかと思われますが、長い療養期間には様々な事が言われてきました。

そんな中に、雅子様が体調を崩された頃に亡くなられた外交官の奥克彦氏は、雅子様の元彼だったとの話があるようです。

皇后として歩み始められた雅子様、今後のご体調は大変心配されますが、雅子様のご体調と話題になった「人格否定発言」、「奥克彦氏」との繋がりや関係はあるのかについて気になります。

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これまでの雅子様

雅子様は、1963年(昭和38年)12月9日、東京都で誕生されました。

幼少時より外交官で、外務事務次官であった父について、ソビエト連邦、アメリカ合衆国での生活を経験されました。

初等教育・中等教育は、日本の学校で義務教育を受けられていますが、高校一年で渡米され、米国のハイスクール、そしてハーバード大学経済学部を卒業されました。

高校・大学で、優等賞を受賞される等大変優秀でおありだった雅子様は、帰国後東京大学に学士入学されますが、在学中に外交官試験に合格、中退して外務省に入省、研修でオックスフォード大学に留学されました。

外交官としては、得意の語学力を生かし、幅広くご活躍もされました。

徳仁親王と雅子様の出会いは、1986年で、1987年に雅子様がお妃候補である事がスクープとしてメディアで報じられますが、雅子様は1988年にオックスフォード大学に留学されます。1989年、昭和天皇が崩御され、徳仁親王は皇太子となられました。

雅子様留学後から1年程経ち、再びメディアの報道が過熱しましたが、雅子様はご結婚の意思はなく、ずっと外交官として働いていく意思を表明され、報道を完全否定し、仕事に励まれました。

一時、徳仁親王のお妃候補から雅子様の名は聞かれなくなりましたが、それから数年、再び候補に浮上、雅子様への想いを経ちきれない徳仁親王は、1992年に雅子様にプロポーズされました。求婚された雅子様は、大変悩まれ、答えが出ないとの事で一度辞退の意を表されますが、一途で真摯な徳仁親王に心惹かれ、意思が固まりご結婚を決意されました。

993年、ご成婚となりました。

ご結婚後、日々のご公務に尽力されていましたが、1999年12月、朝日新聞によって雅子様懐妊の兆候をスクープされます。宮内庁は過熱報道の自粛を要請しましたが、その後、流産の手術を受けられたと発表され、古川清東宮大夫らは懐妊が早期から大々的に報道されて、雅子妃に心労を与えたとしてマスメディアを批判しました。

当時の皇太子、徳仁親王もその翌年の誕生日記者会見で「そこに至る過程で医学的な診断が下る前の非常に不確かな段階で報道がなされ、個人のプライバシーの領域であるはずのこと、あるいは事実でないことが大々的に報道されたことは誠に遺憾であります」と述べられ、雅子妃を守る姿勢を示されました。

2000年の夏頃から体調不良による公務の欠席が増えられた雅子様。2001年12月1日、待望の愛子内親王を出産。ですが、その後も「お世継ぎ」誕生への周囲の期待がストレスとなられ、気分が落ち込む事も多かったと言われています。

そんな雅子様、2003年には帯状疱疹になられました。帯状疱疹は、ストレス等により体内の免疫力が低下している時に発症する事があるものです。頻繁にご公務を欠席されていた事を考えると、かなりお疲れの状態だったのではないかと想像出来ます。

そして、2004年7月に「適応障害」と公表され、外務省で働いていた雅子様の環境が結婚を機に一変し、その変化に対応出来ずに発症したとの事でした。また、この発表の少し前の記者会見で、徳仁親王の発言が「人格否定発言」とされ、話題になっていました。

「人格否定発言」とは、どんなものだったのでしょうか。

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雅子様への人格否定発言とその内容とは?

人格否定発言とは、2004年5月、徳仁親王が欧州歴訪前記者会見で「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった事も事実です」と発言された事からそう呼ばれたものです。

当時、外務省出身で国際派と見られていた雅子妃と保守的な宮内庁の間に軋轢がある事を示唆する発言が徳仁親王本人の口からなされました。この事は、日本の政府や国民に対して大きな衝撃を与え、内外のメディアでもセンセーショナルに取り上げられました。

 

2004年当時は皇室全体として皇族男子が40年近く誕生していなかった事や、皇族男子が誕生していなかった為に皇太子家自身にも皇位継承者誕生のプレッシャーがかかり、皇太子妃の海外訪問が制限されていた事等がクローズアップされました。この発言を機に皇室のあり方について国民的議論も巻き起こりました。

 

この発言は、皇室の中心人物的存在である皇太子様により、身内とも言える宮内庁や皇室側から、雅子様に対する「後継者出産に専念せよ」とも取れる圧力があった事が暴露されました。

この事によって、皇室・宮内庁の雅子様の外交というこれまでの経歴やアイデンティティーを否定し、世継問題へのプレッシャーで追い詰めたという事が明らかになり、皇室のあり方を世間に問題提起した形となりました。

しかし、この事は徳仁親王が世間や皇室を敵に回し、どんな事になろうとも雅子様の味方でいるという表れだったのでなないかと思います。

大変大きなご負担とご苦労がおありだったと想像出来る雅子様ですが、雅子様の長年に渡る体調不良は、元彼だったと噂される奥克彦参事官が関係しているのでは、との話もあるようです。

奥克彦参事官とは、どんな人物でどんな関係があるのか気になります。

奥克彦参事官とは?

  • 奥克彦氏は、日本の外交官。
  • 1958年1月3日、兵庫県生まれ。
  • 1981年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。外務公務員採用上級試験に合格。
    同年4月、外務省に入省。
  • 1982年、在イギリス日本国大使館外交官補として、オックスフォード大学ハートフォード・カレッジにて在外研修。
  • 2001年10月より、在イギリス日本大使館参事官。
  • 2003年4月、米国が復興人道支援室(ORHA)を設立した直後からイラクに長期出張。復興人道支援室(5月に連合暫定施政当局に改編)と日本政府とのパイプ役を務め、日本のイラク復興支援の先頭に立って活動。
  • 2003年11月29日、井ノ上正盛三等書記官と共に北部イラク支援会議に出席するため、ティクリートに四輪駆動の軽防弾車で向かう途上を襲撃され殖職。享年45。同日付で、従四位に叙され、旭日中綬章授与。大使の称号付与。

 

【イラク日本人外交官射殺事件】

2003年11月29日、イラクに派遣されていた日本人外交官2人が、バグダード北西140㎞に位置するティクリート近郊にて、日本大使館の車両で移動中、何者かに射殺された事件。2015年の段階では犯人逮捕に至っておらず。

奥克彦駐英参事官と井ノ上正盛駐イラク三等書記官、それにイラク人運転手が乗った車両に、後ろから追い付いてきた車が銃を発砲。

政府は、弾丸の痕跡が車の左側に集中している事、金銭等が奪われていないことからみて、「テロの可能性が高い」とし、テロリストの犯行である見方をしめしました。イラク暫定内閣のフーシュヤール・ズィバーリ外相は、事件の犯人が旧フセイン政権時代の情報機関、統合情報局の残党による犯行と断定しました。

 

奥克彦さんのお葬式の時の動画がありました。

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奥克彦参事官は雅子様の元彼との噂?

雅子様の元彼が、赴任地のイラクで銃撃を受けて亡くなった、外務省の先輩である奥克彦参事官だとの噂があるようです。

亡くなられた時は家庭をお持ちでしたので、お互い独身の頃のお付き合いだったのでしょうか。

皇太子様の事がなければ、お二人は結婚していたかもしれないとまで噂されているようです。

ですが、雅子様と奥参事官が親しかったという情報はあるようですが、それ以上の具体的なエピソードや証拠となるような情報はなく、あくまでも噂に過ぎない可能性が高いようです。

雅子様の病気のきっかけと関係性

雅子様が、適応障害により、病気療養に入られると発表されはのは2004年でした。

その前の2003年に元彼ではと噂される奥克彦参事官はなくなられています。

この事により、雅子様は元彼であった奥氏の突然の死にショックを受け適応障害になられたのではないかと噂になったようです。

事実はどうあれ、確かに外務省時代にお世話になった方の突然死となれば、ショックを受けられたかもしれません。ですが、普通に生活している中で、親しい人の突然の死というのは誰にでもあり得る事です。当然ショックを受けてもおかしい事ではありません。

お二人の関係の噂が仮に本当だったとしても、親しかった方の突然死なら確かにショックは受けられたかもしれません。ですが、その事だけが、生活の中でのストレスが原因とされる適応障害を発症される事に繋がったとは考えにくいと思われます。

現に、雅子様のご自身の体調不良による公務欠席が増え始められたのも、2000年頃からで、奥氏が亡くなる前からでした。

奥氏死後、間もなくしての雅子様の適応障害公表だった事から、そういった話が上がったのかもしれませんが、雅子様が適応障害という病気になられた背景は、徳仁親王の「人格否定発言」で推測出来る事が十分あります。

徳仁親王の発言から、雅子様は1993年のご結婚から適応障害と診断されるまでの約10年、ご自分のキャリアを活かして、皇室に尽力したいと強く望まれ考える中、そんな事より早くお世継ぎをと望む声の軋轢に大変悩まれたのではないでしょうか。

そんな雅子様ですが、長い療養期間を経て、愛子様のご成長もあってか、2014年以降は体調不良が回復傾向におありのようで、負担の大きい宮中行事への参加や海外でのご公務も行われています。

体調不良を崩されたのには、雅子様の大変お強い責任感ゆえだったと感じる事が出来ます。

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雅子様の記事まとめ

徳仁親王・雅子妃が天皇・皇后になられ、これからのお二人には注目が集まり、期待される事と思います。

長い療養期間を経る等、大変ご苦労が多かったと思われます雅子様で、その事に関する様々な事が話題となったお二人でもあります。

ですが、それらの事から、 徳仁親王がご結婚前に、雅子様に「僕が一生全力でお守りしますから」とおっしゃられたように、何があっても雅子様を守るというお気持ちからの発言でおありだった事が大変感じられます。

雅子様への愛情が痛いほど伝わる感動のエピソードだと私は思います。

雅子様には、これからまだまだご苦労はおありだと思いますが、お身体を大切にご公務に励んでいかれますよう願います。そして、責任感のお強い皇后雅子様をあたたかく見守らせていただきたいと思います。

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