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宮崎勤の一族の末路まとめとは?父親母親と妹の現在がヤバい事になっている?

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件。1988年(昭和63年)から翌1989年(平成元年)にかけ、東京都北西部・埼玉県南西部で相次いで発生した、幼女を対象とした一連の連続誘拐殺人事件です。

この事件で4人の少女が殺害されました。

「宮崎勤事件」あるいは「連続幼女誘拐殺人事件」という名で記憶されている方が多いでしょう。

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宮崎勤の事件の概要

1989年7月23日、東京都八王子市で幼い姉妹を狙ったわいせつ事件が起きます。妹の全裸写真を撮影していたところを被害者の父親により取り押さえられ、宮﨑勤(当時26歳)は強制猥褻容疑で現行犯逮捕されました。

その後の取調べの末8月9日から連続幼女誘拐殺人事件への関与を認め、8月10日にその供述通りに遺体が発見されたことから、同日の夕刊とニュースで宮崎勤の実名報道が始まります。

連日の大量報道によりいまだに覚えている方も多い事件です。

 

裁判ですが、1997年4月14日に東京地方裁判所で死刑判決が下されます。その後控訴するも、2001年6月28日に東京高等裁判所でも控訴棄却され、一審判決の死刑を支持。

2006年1月17日に最高裁第3小法廷は、弁護側の上告を棄却、弁護側は判決訂正を求めましたが、2006年2月1日に棄却、死刑が確定しました。起訴から初公判までに半年、1審判決が出るまで7年半。

2審でも4年、最終審でも4年以上かかっていて、おおよそ16年を公判に要し非常に長い裁判となりました。2008年6月17日、宮崎勤死刑囚は東京拘置所で死刑が執行されました。

裁判の長さとは逆に、死刑確定から2年4ヶ月での執行はかなり早い例となります。

 

宮崎勤は1962年(昭和37年)8月21日、東京都西多摩郡五日市町(現在のあきる野市)小和田で生まれました。

彼の家柄はそれなりに裕福で、曽祖父は村会議員、祖父は町会議員を務めており、地元の名士といっていい家柄です。

家族は両親と妹が2人、親族に父親の弟が2人とその子供・母親の兄とその息子が2人です。

父は地域で発行される「ローカル新聞社」の経営を行っていました。有名なあの宮崎勤の離れの部屋があったのですからまあ妥当ですね。

しかし事件発覚後、家族・親族ともにどん底に落とされることになります。

 

事件を起こしたのは宮崎勤自身です。

そして家族は関わっていませんでした。しかし事件報道の過激さゆえに、世間の宮崎勤への憎悪が彼の家族へと向かい、「お前たちも死ね」などの嫌がらせの手紙が殺到したようです。

父親は会社をたたみ家を引っ越したそうですが、ニュースのつてによって一般人から目をつけられ嫌がらせを受けたそうです。

また上の妹は勤めていた会社を辞め、結婚間近と言われていましたが婚約を破棄しました。下の妹も通っていた看護学校を自主退学させられるはめになります。

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宮崎勤の親族は?

 

影響は親族にも及びます。

宮崎勤の父の上の弟はいくつかの会社の役員を勤めていましたがすべて辞職しました。

下の弟の娘2人もやはり当時勤めていた仕事を退職しています。

さらに宮﨑姓を名乗ることの影響を考え、彼は苦渋の決断の末に「巻き込むわけにいかないから」と妻を説得して離婚します。

娘たちを妻に引き取らせました。母親の兄の2人の息子は警察官、高校教師だったそうですが辞職したそうです。

ここまでは行くのは酷すぎます。

父親は記者のインタビューに対して「家族である私たちが責められるのはわかるが、直接関係の無い一族までが非難され仕事を失うことになったことに悩んでいる」という旨を語っていたそうです。

 

宮崎勤の父親は、被害者への賠償金を支払うため先祖代々の土地を売り払い、事件発覚から5年後の94年11月、青梅市内の多摩川にかかる神代橋(水面までの高さ約30m)から飛び降り、自殺を遂げました。

母親は、宮崎勤の死刑執行後、東京拘置所で遺体を回収するようアナウンスされていましたが、「後片付けをすべて東京拘置所に任せる」という旨を伝え受け取りを拒否しました。

その後の行方は不明とされています。

他の家族・親族も現在の所在は不明ですがこの事件で散々苦しめられているため詮索するのは酷であると言えます。

現在、宮﨑の生家は取り壊されて空き地になっています。事件が大きく影響して土地の買い手が現れず、完全に荒れ地となっているそうです。

 

昭和から平成へと移り変わった時期でニュースの素材はたくさんありました。

しかしこの事件は特別で、事件の残忍さも含め多くの人の記憶に残る事件となりました。報道量もかなり多かったせいもありますが、家族・親族への風評被害も前述の通り酷いもので本当に気の毒に思います。

またこの時の宮崎勤に対するマスコミの偏向報道、さらには捏造報道がメディアへの不信感を大きくするきっかけのひとつであったと言えます。

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宮崎勤の事件のまとめ

犯罪者の家族への風評被害は現在でも多く見受けられます。技術の進歩もあってより酷くなっている状況もあるのではないでしょうか。

これは非常に難しい問題で、今後も凶悪事件が起こるたびに似たようなことが起こるでしょう。どうしようもない事ですがとても悲しく思います。

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